続ヨーロッパを知る50の映画
本, 狩野 良規
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詳細
- タイトル: 続ヨーロッパを知る50の映画 de 狩野 良規
- ISBN: 4336057842
- ファイル名: 続ヨーロッパを知る50の映画.pdf
- 発売日: 2014/9/19
- ページ数: 383ページ ページ
- 出版社: 狩野 良規
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続ヨーロッパを知る50の映画 epubダウンロード - 内容紹介 古代から中世、革命の世紀、そして2度の世界大戦と冷戦、ベルリンの壁崩壊を経て9.11まで、銀幕に浮かび上がるヨーロッパの歴史とそこに脈打つ魂に思いを致す、大胆不敵な映画評論。写真多数収録。 内容(「BOOK」データベースより) 古代から中世、革命の世紀、そして二度の大戦と冷戦、ベルリンの壁崩壊を経て9・11まで、銀幕に浮かび上がるヨーロッパの歴史とそこに脈打つ魂に思いを致す、大胆不敵な映画評論。写真多数収録。 著者について 1956年東京都生まれ。東京外国語大学外国語学研究科修士課程修了。東京都立大学人文学部(史学専攻)卒業。オックスフォード大学留学(1991―92年)。現在、青山学院大学国際政治経済学部教授。専攻、イギリスおよびヨーロッパ文学・演劇学・映像論。主な著書に、『シェイクスピア・オン・スクリーン』(三修社)、『スクリーンの中に英国が見える』(国書刊行会)、『ヨーロッパを知る50の映画』(国書刊行会)、『続ヨーロッパを知る50の映画』(国書刊行会)などがある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 狩野/良規 1956年東京都生まれ。東京外国語大学外国語学研究科修士課程修了。東京都立大学人文学部(史学専攻)卒業。オックスフォード大学留学(1991‐92年)。現在、青山学院大学国際政治経済学部教授。専攻はイギリスおよびヨーロッパ文学・演劇学・映像論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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著者は1956年生まれで、青山学院大学・国際政治経済学部教授。専攻はイギリスおよびヨーロッパ文学・英劇学・映像論とのことです。今年(2014年)3月に出版された『ヨーロッパを知る50の映画』のあとがきで予告されていた続編がようやく出来(しゅったい)です。正編は国・地域別に50本の映画を紹介していましたが、続編では古代以来のヨーロッパ史に沿った構成になっています。選ばれたヨーロッパ映画はそれぞれの国の政治経済上の課題が色濃く反映された作品ばかりです。それだけに近現代史に強い関心を持ち始めた頃の学生時代に私も映画館へと足を運んで見た作品が数多く取り上げられていて、懐かしい思いとともに頁を繰りました。その一方で、あの頃は生半可な政治史しか持ち合わせていなかっただけに、作品に対して十全な理解が及んでいなかったのだなという苦い思いもまた同時に味わいました。『戦艦ポチョムキン』で短い、変化に富んだカットを積み重ねて、モンタージュのお手本と称される「オデッサの階段」シーンを組み立てたセルゲイ・エイゼンシュテイン監督は、この手法のヒントを漢字から得たのだとか。著者によるとこの話は広く知られているということですが、私は初めて知り、驚きました。口と犬を組み合わせて「吠える」、水と目で「泪」といった具合に異質な文字の結合が次元の異なるものへと変化することに、日本に興味を持った監督が感じ取ったということです。あの有名なシーンの背後に日本文化に対するロシア人監督の強い関心があったとは。ブニュエルとダリが結託した『アンダルシアの犬』は、正視できないほどグロテスクなあの目玉の場面以外は記憶が飛んでしまっているほどです。著者はこの映画を評して「とくに今日の日本の『べき』まみれ、『臭いものに蓋』文化にひとたび疑念を抱くと、こうしたグロテスクな映画が、かえって解放的で晴れやかなものに見えてくる」と記します。この著者の見立てが心に沿いました。グロテスクといえばシュレンドルフの『ブリキの太鼓』も目をそむけたくなる場面が少なからずあったことばかりが記憶に残る作品でした。私はその曖昧な記憶をもとにこの映画を、主人公のオスカルを無垢な存在と位置づけ、周囲の大人たちの汚れを告発する作品だと解釈していたところがあります。しかし著者はこう綴るのです。「『ブリキの太鼓』は異常な時代の特別な地域の物語ではない。今日でも周りにたくさんいるではないか。成長を拒否して何もやらないくせに、時々奇声を発して、いろいろなものを破壊する、被害者意識の固まりのような輩が」。この手厳しい視線も妙に胃の腑に落ちる気がしました。『マリア・ブラウンの結婚』に出てくるアメリカ人兵士やフランス人実業家が、戦後西ドイツとそれぞれの国の関わりを象徴しているという考察も、あの映画が好きな私に新しい視点を与えてくれた思いがします。数多くの国々の映画を丹念に見直して丁寧な考察を施した労作といえますが、一点だけ指摘しておきたいことがあります。『戦場のピアニスト』のドイツ人将校ホーゼンフェルト大尉のくだりについて著者は次のように筆を進めています。「シュピルマンの職業を知ると、ピアノのある部屋に連れて行き、『何か弾いてみろ』。ユダヤ人は月明かりの中で、白い息を吐きながら、ショパンのバラードを弾く」(209頁)。著者はこの映画を、日本語字幕を便りに観たと思われます。あの映画の日本語字幕に問題があることを私は以前そのDVDのレビューで指摘したことがあります。また、シュピルマンの息子であるクリストファー・W.A. スピルマン氏もその著『シュピルマンの時計』(小学館)の中で同じ問題点を取り上げています。映画の中でホーゼンフェルト大尉はシュピルマンに対してドイツ語で敬称のSieで語りかけているのです。「何か弾いてみろ」というぞんざいな口調で命じているわけではありません。むしろ「何か弾いてみてください」と<依頼>しているのです。ドイツ語のセリフをきちんと日本語に訳さなかったばかりに、『戦場のピアニスト』のホーゼンフェルト大尉とシュピルマンの関係性が日本人にはきちんと伝わらなかったうらみがあります。『戦場のピアニスト』は、非英語圏のヨーロッパ映画を論じる際にはそれぞれの言語の細かいニュアンスにまで明るくないと誤解をしたまま論じることになる、という好個の例なのです。
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